ニコラ・テスラにハッピー・バースデー! その生涯を振り返る(動画)

  • author 福田ミホ
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ニコラ・テスラにハッピー・バースデー! その生涯を振り返る(動画)

7月10日は、技術者にして発明家のニコラ・テスラの154回目の誕生日だったそうです。そう、テスラコイルのテスラさんです。

その記念に、あるテスラ・ファンの方がその生涯を振り返る動画を公開しています。ニコラ・テスラの功績だけでなく、同時代の発明王トーマス・エジソンがいかにイヤなやつだった(と多分テスラが思っていた)かにも繰り返し触れられています。

ニコラ・テスラは1856年7月10日、現在のクロアチアで、セルビア人の両親の間に生まれました。彼は聡明で何にでも興味や疑問を持つ、少し変わった子供でした。納屋の屋根から、傘を持って飛び下りれば飛べるんじゃないかと思ったり、コガネムシみたいな虫をモーターにできないかと実験したり(これは友達が虫を食べてしまって頓挫!)猫2匹をこすり合わせて電気を作ろうとしたり、子供の頃から発明精神が旺盛でした。

1884年、テスラは米国に渡り、トーマス・エジソンの会社に入ります。当時エジソンの会社では直流式の電源が使われていましたが、エジソンから「この仕組みを改良できたら5万ドル(現代の金額では110万ドル、約9781万円)支払う」と言われ、それに成功します。が、テスラが報酬を要求すると、エジソンは「あんなのは冗談。君はアメリカンジョークをわかってないね」と言い逃れたのです。

結局テスラはエジソンの会社を辞めた後、1888年、エジソンのライバルであったジョージ・ウェスティングハウスの協力を得て、自身の交流電源システムを商業化することを目指します。が、交流電源は、エジソンがメリットを主張する直流電源と競合してしまいます。いわゆる電流戦争の始まりでした。

エジソンはテスラの交流について、虚偽の情報で危険性を訴えるネガティブ・キャンペーンを行いました。交流電気をサーカスの象に流して殺してまで、交流式の恐ろしさを訴えたのです。基本的にエジソンは性格が悪かったのです。

また、直流式そのものに、さまざまな欠点がありました。たとえば、火事になる危険性が高いことや、リーチが2マイル(約3.2km)程度しかないために無数の変電所が必要になってしまうことが挙げられます。交流式であればリーチは数百マイルにも及びます。また、交流式で灯した光は真っ白だったのに対し、直流式での光は黄色っぽいものでした。最終的にはエジソンも、世間のニーズに合わせ、交流式を受け入れざるをえませんでした。

テスラの功績は電気だけにとどまりません。彼は700以上の特許を取得し、さまざまなアイデアを持っていました。ロボット、スパークプラグ、電気アーク灯、X線機器、ブレードレス・タービン、無線通信、レーザー技術、ネオンライト、リモートコントロール、セルラー通信、無線通信、殺菌のための電気風呂、レーダー、などなど。

テスラは1943年1月7日、ニューヨーカー・ホテルにおいて、心臓病で亡くなりました。その功績にもかかわらず、彼はひっそりと孤独な死をとげました。エジソンは20世紀の発明王として広く知られていますが、テスラは単なる歴史の1ページくらいにしか思われていません。忘れ去られ、評価もされないままに。

ニコラ・テスラ、天才にして発明家の物語でした。

Kyle VanHemert(原文/miho)